えちまにはかた

2020/01/07

長崎の旅 二日目

予定通りの雨。長崎の坂の景色も雨に霞む。



今日は軍艦島への船のツアーを申込んだ。
海岸通りまでちんちん電車に乗る。1日乗り放題チケット付きだ。500円だけどね。



700億円もするイージス艦らしい。
ここにもドックがある。呉と同じだ。
不思議なことに、軍艦の後ろに普通の住宅がある・・・



イギリス製の巨大クレーン。
イギリス? 日本では作れんのか・・・



隠れキリシタンは、こんな海沿いに教会を建てた。
隠れようって、こんなの建てたら見つかるよ…




軍艦島は台風の被害で桟橋がやられて上陸はできないようだ。
「軍艦島」・・・廃虚の島、ぐらいの知識しかなかった。

「軍艦島」自体が世界遺産登録されているわけではない。
青森から鹿児島までに23ある 明治産業革命遺産 のひとつなのだそうだ。

その中で、石垣を積んだ桟橋と赤レンガの建物のみが、
明治時代に造られて唯一残っている。そのふたつが世界遺産に登録されている。

「軍艦島」とゆうのは、海から見たその姿が軍艦に似ているとゆうので、その名がついたが、元々の島の名前は端島(はしま)とゆう。

三菱が端島を買い取って採炭を始めた明治20年代から90年近く、縦横460m×160mの小さなこの島に5000人以上の人が暮らしていた。

島の半分は炭鉱施設。残りの半分にそれだけたくさんの人がいたのだ。
人口密度は今の東京の10倍以上だとか。

学校、病院、商店、パチンコ店、映画館・・・
水と電気には苦労しただろう。

8時間3交代で24時間操業。危険な炭鉱の仕事はカネになったんだろう。電化製品普及率が長崎一だったと。

遊ぶ場所のない子供達のために、運動場には夜間も照明があったと。
その当時ナイター設備があったのは、神宮球場と軍艦島だけだったらしい。
すごいことだと思うよ。
 
1974年に閉山して島民全員が長崎に戻るまで、ここにそんな暮らしがあったのか。
私が高校生の時まで、ここにはそんな暮らしがあったんだ。

石炭はもう要らなくなったんだ。
二酸化炭素が出過ぎるからか。

石油の時代になったんだ。

感慨深い軍艦島ツアーだった。
上陸したかったなあ。




木造のものは、40年の間に全て風化して無くなり、
鉄筋コンクリートの建物だけが残っている。


確かに、軍艦に見えなくもない。


軍艦島に上陸できなかったので、近くの高島に上陸。石炭資料館がある。



港に戻って、チャンポンのランチ。
あんまり期待してなかった割には、おいしかった。

次はどこ行く?
ちんちん電車は乗り放題だ。

出島か。40年前に来た。
その時には「ミニ出島」しかなかったが、こんな再現出島ができていた。
観光客よりガイドやスタッフの方が多いぞ。

ビデオを観て、鎖国当時の日本に思いを馳せる。日本史勉強したなあ。







歩き疲れて、路線バスでホテルへ帰ることに。ダラダラ休憩。

お、晴れてきたぞ。




海には大きな港や造船所。
海沿いにはちんちん電車やバスが走るにぎやかな街。
その上の高台には住宅。
そのまだ上にはリゾートホテルが立ち並ぶ。

長崎。おもしろい街だ。

それにしても、なんてあったかいんだ。20℃あるぞ。九州だから?奈良もあったかいの?

明日の天気はどうなんだ…




上陸できんかったけどね。





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