大船渡のホテルの朝。今日もカンカン照りだ。
大船渡駅からBRT で陸前高田へ。
手前の脇の浜下車。巨大防潮堤に沿って歩く。
ここにたくさんの家が建っていたことは想像はできるが…
巨大な堤防に囲まれた緑地帯が延々と続く。一体ここには何があったんだ、と思わせるほど何も無い。全て流されたんだ。
陰を必死で探す。
震災遺構。5階建てのアパートか。
津波の高さを示してある。5階まで到達してる。1階2階は津波の威力がすごいから、全く何も無くなってる。3階4階は冷蔵庫やベッド等生活用品が散乱していた。5階はかろうじて窓枠が残ってる。住民は避難して無事だったんだろうか…
防潮堤の上を歩く。暑い。
破壊された古い道の駅。
東北はそばも美味い。わんこそば、盛岡冷麺、ジャージャー麺。
ユースホステルだ。3月はシーズンオフでこの建物には誰もいなかった。よかった…
ニュースで見たな。「奇跡の一本松」
津波で松林は全て流されたのに、この一本だけが生き残ったようだ。でも、海水にさらされてすでに枯死。復興のシンボルとして残してる。先の部分はレプリカ。幹には特殊な心棒を内蔵してあるようだ。
今日は土曜日だ。道の駅にはたくさんの車が停まってたけど、あまりの暑さに、ここまで歩いてくる人は少ない。
もうひとつの震災遺構。気仙中学。
水門、防潮堤、と草地…それしか無い…
家は全て流されて、ここには住宅を建てて住んではいけないのだ。
暑いから歩くのはほどほどに、と思っても、結局10kmは歩くことになる。
BRT で気仙沼まで。気仙沼駅には何も無いので、南三陸へ。志津川駅下車。
元々列車のトンネルだ。バスの幅でいっぱいいっぱい。もちろん前からは来ない。
またまた巨大防潮堤。一体どれだけのおカネを使ったんだろう。
あ、これか。最後まで避難指示の放送をしていた防災庁舎は。結局、その女性は屋上を越えて押し寄せた津波に飲み込まれて死んだ。
この屋上には庁舎の職員と住民、合わせて53人が避難したが、10人を残して43人は流されて亡くなった。
屋上のアンテナみたいなポールにしがみついてる人がいるのをニュースで見たことある。
生き延びた10人は氷点下の寒さの中、濡れたカラダのまま、震えながら朝まで堪えたんだ…
その後、誰が誰をどうやって助けたんだろう…
津波は、この川の両側からどんどんあふれて全てを押し流した。
もちろん、この堤防も震災後に作られたものだ。
震災津波伝承館。
津波の映像を7分流していた。ニュースで見た恐ろしい映像だった。久慈、野田、田野畑、宮古、釜石…歩いて見てきた町の映像だ。
海沿いの全ての町が流されたんだ。
歩いてきたからこそ、関西のニュースでは知ることのできない小さい町のことがわかった。
志津川駅に5時に宿からお迎えがくる。
ずいぶん海からは遠い宿だ。「いりやど」
暑さが半端ない。岩手の北部を歩いてる時は、こんなに暑くはなかったぞ…
10kmでgive up。
ブログランキングに参加しています。
ポチッとクリックしていただけたらうれしいな♪