宿の部屋は必ずオーシャンビューだ。従って、東向き。遮光のカーテンじゃなければ、5時半頃からガンガンに明るくて目が覚める。
今日も晴れるのか…曇ってくれ…
グリーンピア三陸みやこを8時前に出る。グリーンピアの敷地は広大だ。海抜は200m近い。ここにはたくさんの仮設住宅が建ったようだ。
「たろちゃんはうす」被災した事業者がここで営業を始めた。
魚屋、八百屋、散髪屋、靴屋、公文の教室…
大変だったろうな…
今日も元気に歩こう。5時間ほどか。
最初は歩きやすい県道だったが…
途中から山道に入り、とんでもない藪こぎだ…いい加減にしてくれ。熊の恐怖と無事に人里に出れるのか、とゆう不安…こんな道はもうやめとこう、とふたりで誓ったのに…
ここにも道路があって寸断されたようだ。トンネルだけが残ってる。
歩いてなら通れるが、車は通行止。
さあ、ここからは山には入らんやろう。
と思ったけど、もう一度山道へ。でも藪こぎじゃなかったから許そう。
三王岩。ここで休憩。
朝日が明る過ぎて、今日も5時前に目が覚めた。眠い。うとうと寝るのがなんとも気持ちいい。
女岩、男岩、太鼓岩の3つ。
津浪の直撃を受けても、変わらぬ姿で立っていたそうだ。
なんだ、一体これは… デカい…日本中の海岸をこれで囲むつもりか…
巨大防潮堤の上に上ると、見えたのは住宅が一軒も無い田老の町と、ポツンと残ってる「たろう観光ホテル」だ。
ここに建ってた住宅はどこへいったんだ…全部流された…
新しく建ってるのは工場だけ。
死んだ人、田老を離れた人。残った人達は高台に移転した。山を削って住宅地を造成した。
津浪って…なんてことをしてくれたんだ…
震災遺構の前でピースサインで記念撮影するのはやめて、と。
そんな気にはなれないよ。静かに手を合わせて一礼した。
ポツンとカフェが、その名もスイカカフェ。
foreigner 率、高くない?
看板娘もスイカウェア。
カフェで話を聞いた。
ここには「万里の長城」といわれた高い堤防があって、地震の時も、あれがあるから大丈夫、と逃げなかった人、その人達に避難を促しに行った若者たち…それををはるかに越える24mの津浪に、皆飲み込まれて亡くなったんだと。
あの時、たった3mほどの堤防しかなかったら、皆、避難してたはず。
田老の4割の人が死んだ…
あれから、防潮堤はもっと高くなった。
普代は10mの水門で、村は守られた。
一体どうしたらよかったんだろう…
宮古。八戸から歩いてきて、ここはちょっとした町だ。ここは海から離れてる。被害はどうだったんだろう。
初めてのビジホ。設備も古いし、部屋も狭い。和室だよ。これで11700円。
高い…こんなの7000円ってとこだ。いや、仕方ない。7000円で泊まって、4700円寄付したと考えよう。宿が無いんだから。
今回の旅。被災した東北におカネを落とすことも目的のひとつだ。
今日も30000歩を超えた。20km。