えちまにはかた

2019/09/14

郷愁のツーリング

いいお天気だ。
今日はテニスがあるけど、土曜日は人数が集まるとみた。出かけよう。
バイクで護摩壇山へ。
護摩壇山はバイクのメッカ。走るのも楽しいかも。

フルーツロードを走って、まずは高野山へ。
広域農道っていい道で、しかもあまり知られてなくてすいてる。


高野山は何度も来てるし、人も多いので通過。
以前、高野山から二泊三日で十津川まで小辺路を歩いた。
その道を縫うようにバイクで走る。

ここ、ここ!ここから山道に入った。
ん?!「危険! クマ出没!!」
こんなポスター、あとから貼ったんだ。

クマいるよ。
クマが鹿を襲った残骸見たもん。



護摩山タワー到着。バイクだらけ。
おやじ同士が楽しそうに話してた。
車もいっぱい停まってた。連休だからね。

標高1000を超えると涼しい。


でも、ここから護摩山に 登るヒトはいない・・・
30分ほどで頂上。


護摩壇山頂上。1372m。



そこから20分ほどの龍神岳の方が景色がよさそう。
和歌山県最高峰らしい。
近畿最高峰の八経ヶ岳は奈良県だったか。

往復で1時間半ほど歩いたか。ちょっとした散歩。




 台風でやられたか。


山深いってゆうか、要するに紀伊半島は山ばっかりなんだよ。
私は小さいころから、この景色は見慣れてるよ。

祖母が大阪に出てくるまで、毎年来てるんだ。



護摩壇山を後にして、帰りに、
私が小さいころを過ごした祖母の家行ってみようと。
野迫川村北股。

見つけた!
50年以上前から空き家になったまま。
祖母が体を壊して大阪へ出てきてから、荒れ放題だ。

さすがに覚えてないが、0歳~3歳まで、
私は祖母に預けられてここで暮らしてたらしい。
3歳から祖母が大阪に出てきていたようだ。
その後弟が生まれて、母は仕事を辞め、祖母はここに戻った。
私は、その祖母に会いに毎夏ここで30日ほど過ごしてた。

確かにこの家だ。
前にある小さい小屋に、五右衛門風呂とトイレがあった。
風呂はマキで炊いてた。
夜、外に出てトイレに行くのが怖かった。
ヤギがいて、ニワトリがそこらを走ってた。

川で釣りしたり、泳いだり、毎年夏休みが楽しみだったもんだ。

いつも渡ってた橋は朽ちてた。
風呂の横にハランキョウの木があったなあ。
気に登って採って食べたなあ。

それにしても、生まれて何か月かの私を3歳までここで育てるって・・・
3ヶ月のタッキーを3歳まで預かるってことだよね・・・
恐ろしい・・・



40年ぶりに会ういとこのかっちゃん。
いや、私の父のいとこだ。私は何?
村唯一の商店。
本家は立派なお屋敷が建ってた。

かっちゃんはこの山奥から近大付高へ行ってた。
その時大阪のうちで一緒に暮らしてた。
なつかしい・・・

家にはエアコンもないし、扇風機も使わない、と。
昔から夏は涼しい所だった。

そのかわり、冬には雪かきしないと孤立する。
私、こんなとこで暮らしてたのか。

村の人口は300人ほど。
でも、高校がないので中学を出たら皆出ていく。
籍はそのままあるから、実際にはもっと少ないだろう。

八尾高校の地理研究部が、過疎の村研究でここへ来たそうだ。


いなか食堂別所。ここもいとこがやってるときいて寄ってみた。
テレビに何度も出た名物女将らしい。

「テレビ観てないんか。有名なんやで」
コーヒーを入れてくれて、野菜や漬物を持たせてくれた。

70歳になってこんな店始めて、畑で野菜作って・・・エライなあ。

母が死んだことを報告できた。




ちょっとノスタルジックな一日になった。パパ、お付き合いありがとう。

明日あさってはテニスに行かなくっちゃ。



ブ ログランキングに参加しています。 
下の手織りのマークをポチッとクリックしていただけたらうれしいな♪

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村